FC2ブログ

Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

コメント

コメントの投稿

コメント

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://jinkencenternagano.blog33.fc2.com/tb.php/10-3bfbe7e0
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

信州農村開発史研究所創立30周年記念集会

に参加しました。いやぁ、面白かったですよ。笹本正治先生の「転換する開発の意識 戦国の神意識と差別」と題する講演をいただきました。題名は堅いのですが、話し方もその中身も面白くて飽きませんでした。40余年ぶりに大学で講義を聴いているようでした。 武田信玄の一連の土木事業を手がかりに、治水、新田開発等の問題を取り上げ、水が人間の歴史にもつ意味を説き明かして頂きました。
 水はいうまでもなく人間が生きていく上では不可欠のもの。それを手に入れるためには井戸を掘る、水路を開き水を引いてくるなどの工事が必要です。それは当時の人にとっては、神が作った自然を改変する畏れ多い企てでした。それを行うためには、特別の能力を持つ者、つまり異能者でなければできないことでした。それが、水に困っている人たちに杖をついてそこから水を湧き出させた弘法大師であり、「判の兵庫」や博士、院内、修験などと呼ばれる呪術師やその弟子達とのこと。
 水害の多いところに被差別民が居を構えている場合が多いのですが、それは差別というより、水に対処できる人たちが水害になりやすいところに住んだと理解した方がいいようです。ただ、後にその人達が差別されるようになったというのが笹本先生のお話の趣旨でした。(笹本先生、間違っていたらごめんなさい。)
 水に関わる異能者の典型が弘法大師だとすると、大師は聖なる存在として今も人々に崇められています。他方、多くの異能者の系列につながる人たちは、差別されてきました。その理由は、呪術に関する人々の意識が近世になって大きく変わり、いわば合理的な考え方が普及し、いわば戦国時代までの神と人間の中間で双方を媒介する聖なる能力を持つ者(異能者)としての役割が、認められなくなったということのようです。
 そう考えると、日本の歴史の中で皇室は神と人をつなぐ聖なるものとして意識されてきました。このあたりの意識構造は、水に関わる弘法大師の役割ととても似ているような気がしました。
 ……人の意識のなかで聖と賤は、とても複雑にからんできているようですね。
     12月14日   紅顔の美少年
関連記事

コメント

コメントの投稿

コメント

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://jinkencenternagano.blog33.fc2.com/tb.php/10-3bfbe7e0
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。